歴史 History

全国一般労働組合東京南部年表

年代 できごと

1950年7月

総評結成大会

1954年7月

総評、中小企業労働者の組織方針を決定。各地の合同労組を糾合して全国合同労働組合準備会ができる。

1956年

城南中小合同労働組合(全国一般南部支部の前身)、東京大崎に生まれる。

1958年7月

全国一般、総評に加盟。全国一般合同労働組合連合に名称変更.。

1960年3月

城南合同労組、全国一般に加入し南部地区本部と名称変更。この頃組織化が進み、「全国一般南部地区本部」の組合員が飛躍的に拡大。

1960年6月

全国一般合同労働組合連合が「総評・全国一般労働組合」に名称変更。

1961年5月

南部地区本部は「全国一般東京地本南部支部」となり、事務所を五反田に移す。

1963年春~  

北海道漁業公社や米系外資企業ニールセンなどで分会が結成される。「南部支部」は大田、品川から港へ組織を広げていく。

1967年10月

全国一般東京地本南部支部、事務所を新橋へ移転。

1970年

この頃から臨時、下請け、高齢者(首都高料金所)など非正規労働者の組織化に取組む。

1971年

支部分会の結成とともに解雇争議もふえ、解雇撤回支援の運動が広がる。

1973年12月

日本で最初の外国人労組(Sony LL)結成。以後、外国人労働者の組織化を進める。

1974年9月

全学研労組が全国一般に加入。大型争議がふえる。

1976年6月  

東京総行動開始。大型争議の背景資本に対し使用者責任の追及始まる。

1983年12月  

全国一般南部地区協議会・南部支部との共同で「労働相談センター」を新橋駅前の事務所に開設。多くの相談が集中し、労働相談活動から多数の分会が結成された。

1988年8月

全国一般中央本部、全民労連(連合)加盟。

1988年10月

東京地本、全国一般を脱退。翌年全労連全国一般結成。

1988年12月

北海道漁業公社倒産争議始まり北海道拓殖銀行への抗議、MTFS分会争議で三菱商事への抗議など背景資本への責任追及に取組み、東京総行動で国鉄闘争とともに闘う。

1989年11月

総評解散、連合結成。

1989年12月

全国労働組合連絡協議会(全労協)結成。

1990年3月

南部支部、東京地本を脱退。この前後に南部地区協各単組も東京地本から脱退する。

1990年12月

全国一般東京地本南部地区協議会を解散。「全国一般南部地区協」を結成、東京地本から 独立。

1991年12月

全国一般全国協議会が結成され、南部地区協とともに南部支部も加入する。

1994年6月

南部地区協と南部支部を組織統合し、全国一般労働組合東京南部を結成。

1996年4月

外国人労働者の大型解雇争議、東京外語専門学校第2次争議始まる(02年解決)。

1998年夏

客室乗務員の有期雇用「雇止め」でカンタス航空解雇争議始まる(01年解決)。

1999年10月

事務所を新橋5丁目に移し、現在に至る。

2000年以降は総括・編集中。